普通ちゃぶ台を返さないよね?

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 同僚や職場の雑談を思い浮かべて欲しい。会社では、無料のドリンクサーバーの話は盛りあがる。けれそ、高層ビルを買って移転しようという話は長続きしない。これは金額が身近かどうかで決まるのだ。

 

 会社での会議は、このように理不尽なのが普通だ。普通過ぎて誰も気付いていないのだ。習慣的に行う会議と言うのは、「こんな感じ」と言う思い込みに慣らされている。会議の目的は決めることではないという悪習慣だ。

 

 当たり前を疑ってみることは非常に大切な発見があるかもしれない。上司がパソコンを使えないのは、いまやあり得ない。一昔前は当たり前だった。作れと言われた資料は毎月作り続けて提出する。

 

 これは使われているのか?という当たり前に疑問を持った。ある月に作成はしていたが上司に提出しなかった。これは他部署から要求されている資料でもいい。資料はまだかと催促されれば、まだ使っていると考えられる。

 

 催促が来なかったら、使われていない書類を自分は残業して作り続けていたのだ。上司が命令するのは当たり前だ。しかし、止めていいと言わないのも当たり前と考えた方がいいと言うことである。

  

 こうして自分の奪われた時間を取り戻してきた。普段に当たり前と考えていることにこそ新しい発見がある。自分が壊れそうになって当たり前を疑う余裕はない。一度ちゃぶ台をひっくり返したらどうか?思考がさまざまに広がっていく。