上手さではない質とは?

 

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ピックアップした記事を解説しつつ、僕の経験や意見を書きます。

今日は「作文」がテーマです。

 

仕事ができない人は「相手を不安にする文章」を書いてしまう | 独学大全 | ダイヤモンド・オンライン                     読書猿

 

 うちの会社は、全員が週1本記事を投稿するルールになっている。これができていないと翌年の昇給交渉のテーブルに付けない。この記事は、投稿した翌日のZOOMによる作文会議で公評される。社内では不評だが仕方ない。

 

 35年も前の話だが、社会人1年生で仕事で文章を書くと言うのは恐ろしいことだ。なかなか書き出せずぐずぐずしていたのを思い出した。それでは、前に進めない。踏み出して指摘を受け入れて初めて上手くなると思う。

 

 文章の書き方は、ケースバイケース。「ですます」がいい場合もあるし、「である」がいい場合もある。しかしながら、文章としての品質は、何について何をどう考えるかがむしろ問題なのではないだろうか?表現方法は読書量にに比例すると思う。

 

 記事では、「例えるなら、挨拶して無視されるのが1、2回なら不満をおぼえるだけですが、ことごとく無視されると不安になるようなものです。」これは分かる。人間は未知が恐ろしいのだ。

 

 「因果関係を説明しない文章」、「何故どうして?の問いを放置したままの文章」に読み手はフラストレーションをおぼえます。これはメールでも、仕事の資料でも、論文でも、およそ誰かに読まれることを期待する、全ての文章に共通する。

 

 

 著者は書くことを「思考を書き言葉にし、それを読み返すことで、考えることと読み書きすることを往復しながら、自問自答しを繰り返します。その中で自分の思いを整序しながら「自分の考え」なるものを構築していきます。」ことと言っています。

 

 そのうえで、「箇条書きと自問自答」が、その基本技術となり、これを繰り返すことで、回収されない問いや欠落は、有効な自問自答が足りていない文章を補うことができるようになるとと言う。