Facebookに見る運の良しあし

 

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 Facebookの書き込みで運の良しあしが分かると言う。何故だろう?「好奇心を持てる?」というテーマでも書いたことだが、人は自分や自分の興味のあることは書く。しかし、他人が興味を持てるかは関心がない。

 

 人は自分を大切にしてくれる人を好む。「逆の見方をすれば、組織の中で一定の年齢や役職に到達すると、周りは何も意見を言ってくれなくなる。このことに慣れてしまうと裸の王様の出来上がりだ。友達でも夫婦でも同じことが言える。」

 

 ここに「運をつかむ」ヒントが隠されている。人との関係を築く際に、全体の中にいる「自分」を外から眺められるか?自分を外部から他人と同じように眺めてみる。そこにいる「自分」は他人に興味を持って大切にしているか?

 

 これを習慣にして欲しい。飛び込みの営業が犯しすいミス。自分の売りたい物の情報より先に、買ってくれる相手に興味を持って相手のことを知ることがどんなに大切なことか。

 

 

 

 

幸運の女神は前髪しかない

 

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 結果には「運」が付きまとう。全部が「運がよい」はない。全部が「運が悪い」わけでもない。チャンスの神カイロスという神話がる。カイロスの特徴は、前髪が長く、後頭部は禿た美少年だったらしい。幸運の女神は前髪しかないというはこのことだ。

 

 カイロスの背中と両足には立派な羽が付いている。その羽を使って、素早く人の前を通り過ぎるのだ。カイロスを捕まえるには目の前に来た時に、前髪を掴むしか方法はない。あくまでも神話だ。

 

 人は生まれた境遇は違う。しかし、チャンスは平等に訪れる。この瞬間に気付けるかどうかが問題なのだ。気付けるか気づけないか。気付けるように注意しておく。これだけで、チャンスをつかめる確率は高まるのだ。

 

 くじは条件と努力と運なのだが、そもそも筋の悪いくじは何度トライしても運が悪い結果となる。ギャンブルや宝くじなどはトータルでマイナスになるよう仕組まれている。勝つ人より負ける人が多くなる。人が作った仕組みだからだ。

 

 今、自分が引こうとしているくじはどんなくじなのかを知っておくことは大事なことだ。カイロスを掴めるよう日頃から努力すると高い確率でチャンスをものにできるだろう。

 

 

運がよかった

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 生きていれば大小を問わず自分で決めないといけないことに出会う。何かを決めた。自分に好ましい結果だった。このような場合の「運がよかった」とよく言う。実力だが謙遜して言うこともあろうが。

 

 あみだくじから学ぶでも書いたが、よい結果を得るには、「客観的条件」と「運」が必要となる。客観的条件をみたし主体的努力をしたから「運がよかった」というのである。「運」は何もしないのによい結果をもたらしてくれたわけではない。

 

 「運」は「客観的条件の下で、主体的努力した時の「確率のばらつき」」ことだと思う。あみだくじの例を使う。④中心で幸運。左右にだんだん運が減少しているとイメージして欲しい。要するに、何処までだったら「運がよかった」と思えるかだ。

 

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  勝間和代さんは、次のように述べられています。

条件は時代とか、国とか、環境によって大きく異なりますし、また、私たち当人がどんなに努力しても、その確率のばらつきにより、成功しないもともあります。

 

 

 あみだくじで見たように、一見均等にばらついているかに見えて、その実は勝つ確率が上がるポジションがあった。大切なことは、「運だと諦めないこと」だ。ルールは下の2つになる。

 

 ・客観的条件を理解すること

 ・努力(行動・思考)を条件に合う方向で選ぶこと

 

 どうやって、ばらつきを小さくなるように持っていけるかが「運」なのだ。この発想を持っているだけでも生き方は変わる。

 

あみだくじから学ぶ

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 あみだくじには、勝ち方がある。賛否反応はまちまちだろう。あみだくじは横線を引くことでランダムになるという公平性を期待させる抽選方法だと思われている。もう一つ、あみだくじについて研究したの結果を紹介しておこう。

 

 

 Excelを使ってパターンを試行して確率を求めている。日常的にあみだくじを使う人数などを考慮すれば、選択する場所はランダムになってはいない。要は前回書いたように偏りがあると言うことだ。

 

 この結論でも当たりが分かっている場合、横線に関係なく真上を選ぶと言っている。逆に言えば、当たりたくない場合は、当たりから遠いところを選ぶのがいいと言うことになってしまう。

 

 人生で「この大学」を出れば必ず出世するということはない。出世する人もいる。もしくは、出世する人が多いまでしか言えない。余談だが、今思うと大学が同じでも高校の方が重要かもしれない。

 

 出世や成功に必要なのは、「客観的な条件」(「この大学」)+「主体的努力」+「運」と日下公人さんは著書に書かれている。「この大学」だけでは出世や成功は決まらないと言われるが、僕は、この「運」に注目している。

 

 二回に渡って、あみだくじについて書いた。占いやスピリチュアルを批判するのが目的ではない。ただ、大部分が将来の「運」で決まるのではなく、過去の客観的条件への不適合で決まるのでもない。

 

 あなたは偏桃体ジャックされていないか?過去に悩み、現在に怒り、将来に怯える。呼吸と同様にあなたがコントロールできるのは何かを見つけて欲しい。それをあなたに伝えたかった。そして、幸せになって欲しい。

 

 

わたしの癒やし

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 呼吸は意識しなくても続けれる。ストレスを感じると呼吸が浅くなって短くなる。この状態は脳の偏桃体を乗っ取られかかっていることを意味している。このことは「ストレスへの対処」でも書いた。深く、ゆっくり、鼻で吸う回数と吐く回数は1:2。

 

 コントロールできないと思い込む代表として「運」がある。「おみくじを信じるか?」でも書いた。生まれた星、干支、誕生日などで将来は決まっているかのごとく受け止めてしまう。これも偏桃体ジャックにつながる。

 

 占いやスピリチュアルが悪いと言っているのではない。目の前のことも、将来も自分でコントロールできることの一旦を感じて欲しい。そう思っている。これらを分かったうえで、占いやスピリチュアルを楽しんで欲しい。

 

 昔、職場でこんなゲームが流行った。新人の自分にはなかなかのストレスだった。しかし、職場の空気感としては断れない。しかし、これには勝ちの理屈があったのだ。酷い時には、全員のジュースご馳もあった。

 

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 あみだくじは大体こんな感じに描ける。確かに、1回目の勝ち負けは、2回目の勝ち負けに影響を与えない。これは真理なのだが、理屈があることをも悟らせないようなルール付けにしているのだ。

 

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統計学が最強の学問である」西内敬著(ダイヤモンド社PP.5.)に、このあみだくじを例えば1,000回試した結果が出ている。

 

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 この結果からみると、両端のどちらかをいつも選べれば、負ける回数は減らすことは可能になるということだ。一見コントロールできそうにないことも、メカニズムがある。このことを知っていれば、精神的負担が減るだろう。

 

おみくじを信じるか?

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 今年も年賀状が届いた。この歳になっても年賀状を受け取ると嬉しい。今の歳だから余計に嬉しい。人とつながっている。定期的に会う訳でもない。同級生や先輩、恩師が社会を通じて、つながっていると感じられることが大切なのだと思う。

 

 今日、神社に行かれる方は多い。コロナ禍で外出自粛要請があっても、参拝しこの年の運勢を占ってみたいと思うのは人情というものだろう。しかし、おみくじに何故一喜一憂してしまうのだろうか?

 

 ある職場でアンケート調査をしたとしょう。そこからコーヒーをよく飲む人は仕事の生産性が高いという。これが正しいとすれば、各職場にコーヒーサーバーを設置すれば会社の業績がよくなるのではないか?

 

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 この関係は「相関関係」と言われる。片方の量が増えるともう片方の量も比例して増える関係と同じ。そこには、「原因」と「結果」の関係ではない。「コーヒーを飲む量⇒仕事の生産性」という関係がないと職場への提案は成功しない。

 

 次のようなことは考えられないだろうか?仕事の生産性が高いのは厳しい上司の存在があったから。社員がコーヒーを飲む量が多いのは、厳しい上司のストレスを緩和するためだった。

 

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 データ収集しても現実に起こっていることの真実を知ることは難しい。ましてや、おみくじで将来に起きることを教示できるのだろうか?おみくじが大吉であれば、積極的に行動し大凶ならば、用心に用心を重ねて行動することが正しいのかな?

 

 

元旦に思う

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  明けましておめでとうございます。

 

 昨年から、Hatena Blogを始めた。文体は褒められたものではない。ファンになって欲しいなどと言える代物ではない。でも、何かを伝えることができればと思い毎日書き続けています。

 

 我が家の元旦は、雑煮を祝う。その前に、全員が席について、この年の抱負を一言共有する習わしだ。若い時は抱負は数えきれない。でも、この歳になると、あと何年生きれるのかと先に不安になる。そういうことではいけないから、前を向いて歩くためにやっているのだ。

 

 子供が育ってそれぞれが家庭を持ち孫ができると、人生で守るべきものがなくなった気分になる。しかし、まだ天命を最後まで真っ当しないといけない。歳をとると毎日が短く感じるのは、殆どのことを経験してしまっているからだという。

 

 逆から考えると、自分の行動範囲なり挑戦がなくなってきているということなのかもしれない。デヴィ夫人が汚れ仕事でも新しいことに挑戦すると言っていた。それが刺激になり新陳代謝できるという。

 

 還暦は少し前なら定年退職の歳。年金を貰ってのんびりとはいかないのが現在だ。あいにく、趣味らしい趣味もない。新しい経験のないことを始めようと思う。経験していない学ぶことが多ければ、一日を感じられるはずだ。

 

 サラリーマンは気楽な仕事というのも昔の話だ。自分はサラリーマンをやっていた感があまりない。〇〇屋と自分の仕事を呼んでいた。システム屋の仕事そして会計屋の仕事などと生徒に説明している。

 

 下のスライドのような話は、1講に1時間を使う。1講から6講までで完結する。1日6時間話すのは体力がいる。しかし、とても楽しかった。人生を振り返り整理しないと他人に分かるように説明できない。たまには、こんなことも書いてみようと思う。

 

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