嘘はバレないと思う?

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 最近は、とんとお目にかかれない白紙の領収書。その昔に、泡の時代と呼ばれた頃は、バスで行けるところでもタクシーで行っていました。白紙の領収書はお小遣いとして使われてました。金額を多めに書いて差額をせしめるせこい横領です。

 

 タクシーくらいで止めておけばいいものを、飲み屋でもらった白紙の領収書まで筆を入れ出す。ばれるわけがと思うのでしょうね。ある時に金額を高額に書きすぎて尻尾を出すのです。そのような輩は、領収書に印紙を貼ることなど知らない。

 

 きつくお灸をすえられるはめに。役職者になると、外注先などに自分の飲み食いした領収書を渡して、仕事の請求に混ぜろと要求することもありました。何故かこの手口もばれてしまい会社を追われるはめになるのです。

 

 面白かったのは、仕入先へ出張した経費を仕入先に払わせる。そして、自分の会社で出張の精算する奴がいた。これは、仕入先に国税局が調査に行った際に拾われた相対調査で当事者の会社と仕入先で二重に計上していることがバレて大恥をかくことになった。

 

 こすこいことをしてはいけません。まさか国税の相対調査で引っかかるなんて誰も(国税職員)も想定外だったはずです。嘘はばれるんです。

 

 

 

価値あるもの

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 親父がよく人間は中身だと言っていた。着ている服装で人の値打ちは決まらないと。子供ながらに名声のある人はいい身なりをしているのにと思ったが黙っていた。( ´艸`)でも、親父の事業が軌道にのった時、親父はいい車を買い、オーダーメイドのスーツを着ていた。

 

 自分の仕事に過大に装うってはいけない。しかし、過小に装うってもいけない。そうのように思うようになりました。過大でもなく過小でもない。これはそれなりの知性を持って、人間関係に相応しさを基準に考えるのではないかと。

 

 

 逆に考えますと、親父が言ったように、高級な物を持っているから立派なのかに通じます。みすぼらしいといって立派でないと考えるのも浅はかです。本質的に的を得た言葉だったと知るには相応の年月が必要でした。

 

 

 お金が手に入るようになった時、それなりの人間関係ができ付き合いも増える。結局、収入と費用の差額とすれば、相対的に上に押しあがった感じかなとも言っておりました。人生のほとんどが苦労で最後の10年ほどが思うようになったのかもしれない。

 

 そういう父親と生きてきたから、僕は自分の生き方に素直だったのかもしれません。

 

思うほど他人は気にしない

 

 

 人間には、認知脳を持っています。自分自身の外、周りの環境、そこで起きる出来事、そこにいる他人を認知しようとしてるそうです。情報を取り入れて脳内で判断に利用しているんですね。

 

 例えば、入学試験の会場では、誰を見ても優秀に見えませんでしたか?往々にして私達は自分以外を過剰に認識しています。これが原因で「上がってしまった」という自分の内部に変化を与えてしまうのです。

 

 いいこともあります。ほとんどの人が外部に過剰認識していることで、恋に発展することもあるのではないでしょうか?しかし、それは過剰な認知なのです。逆言えば、それほど他人は自分のことを意識はしてない。

 

 

 人の目を気になって、なかなか前に踏み出せないかもしれない。しかし、残念ながらあなたの前にいる人があなたを見ていると思うのは勘違いが多い。そして、話も聞いていないと心得ておくべきです。

 

 恥をかいたところで、笑われたところで、そんなことを誰も覚えてはいない。覚えているのは自意識過剰の自分だけなのです。人の記憶は簡単に薄れる。気にすることなどないのだ。

 

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やってみて分かる狂気性

 

 自宅から会社のPCにつなげるソフトは山ほどあります。会社に残ってやるんだったら、家からリモートでつなげて事務処理だけ実行してみました。期限がある仕事だけのつもりが、気になっている仕事を片付ける習慣になりました。

 

 会社か家か時間のけじめなくってしまったのです。部下にも気軽に勧めていたけれど、これはやってはいけないことだと分かりました。時間が延長されただけで生産性は変わっていない。むしろ悪くなっていたのではないと思う。

 

1日は24時間。これは全ての人に平等です。コロナ禍になって一番気を付けないといけないのは、仕事をする時間と仕事をしない時間を分けること。昭和時代のおじさんが一番できないことなのです。

 

 気になればとりあえずメールしておく。電話こそかけにものの、リモートワーク時には、これも凶器になってしまいます。Lineなどのリアルメッセージ系などは、何処にいても仕事を強要していることに近い。

 

 18時までと決めて仕事をしないと、ずるずる時間が伸びて生産性が下がっています。職場を巻き込んではいけない。自宅にいること自体がストレスになり、健康を阻害しているようです。そこへの配慮を重視しつつ、不要不急の仕事は止める勇気を持つこと。

 

 

レトロだけど新しいもの

 

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 歴史は繰り返される。例えば、ネクタイの幅、スーツはシングルかダブるか、パンツは広幅かスリムかなどなど。僕が80年代に着ていたタイプがやや復活してきているかな?スーツはバブルでラペル(襟)は広め。少し余裕のサイズ感で着こなす。

 

  車も旧車と呼ばれるレトロな車が人気だとか。僕は一貫してキャブレターの車が大好き。でも、屋内保管と維持費が嵩むため買えない。もう車体の状態がいい旧車が見つからないので、極めて高価な乗り物、宝物になってしまっている。

 

 下の動画は、Rocky Autoと言う旧車専門店のもの。昭和45年くらい通称ハコスカスカイライン)を古いエンジンのままではなく、RBという比較的新しいエアコンやパワステの使えるシステムを移植している。ですが、SOLEXのキャブレター仕様なのです。

 

 車好きの方は動画をどうぞ!

rockyauto.co.jp

 

 RBエンジンを使う前はほとんどがL型エンジンを使用していました。L型エンジンをチューンするのが、その時代の主流だったわけです。しかし、OS技研がL型エンジンのヘッドをDOHC化したことで、モンスターに変身しました。

 

www.youtube.com

 

 このエンジンは、腰下は昭和の時代のL型エンジンを使用しています。ヘッドをOS技研製のTC24に乗せ換えて、24バルブのDOHCエンジンになっています。GT-Rの本物はS20というエンジンで2000㏄ですがTC24は3000㏄になっています 

 

 

 

いい親だった?

 モンテッソーリ式おうち子育て

 

  僕は子供が3人います。3人ともが社会人。上の二人は結婚していて、子供もいます。僕の孫は4人です。子供を育てるのは大変なことでした。こちらの方が学ぶことばかりでしたね。

 

 コロナ離婚という話もあったほどに、家庭に閉じ込められている。子供を持つ家庭はそれ以上に大変なのです。自分が子育て世代の時には、家に閉じ込められるような事態はなかった。未経験であることは確かです。

 

 子供には強く生きて欲しいと願っていました。スポーツでも勉強でも何でもいいから自分の力で壁を乗り越えて欲しいと願った。僕はその壁を果たすべく、いろんな努力も惜しまずに続けました。

 

 家の中にいる時間が増えると、ストレスが増えているのは親だけではありません。子どもだってイライラが増えます。僕だったら、何をしてあげることができただろうか?息が詰まる思いを切り替えることができただろうか。

 

 今考えるとあまりいい親ではなかったのだろうと思っています。ただ、一緒期暮らした30年余りに何かしら子育てのヒントを掴んでくれたような気がします。自分はこうしよう。こうなってはいけない。世代が進むにつれ良くなっていくのだと確信しています。

 

 

言い伝えには意味がある

 

 畳の耳を踏んではいけない。そう子供の頃から教えられてきました。傷むからという理由はよく聞きますが、調べてみると意外なことが書いてありました。畳の縁や敷居は結界の意味があるようです。

 

 敷居は家の結界を意味しています。敷居は聖と俗、外界と内界との境目として聖なる存在です。家の敷居から中に入ったら、相手の聖域に入っていることを意識して失礼のないようにしなければならないようです。

 

 畳は家人と客との境目、上座と下座の境目。結界を踏む行為は、格式を無視した失礼な行為になるので禁忌とされています。また、その他の敷居を踏む行為を禁ずる理由として、家の構造に悪影響を与えるという事情もあるということです。

 

 レストランでテーブルの上に何気なくバッグを置くのも禁忌。高級なレストランではテーブルクロスも敷いてあり、テーブル上はお皿と同様と見なされるようです。また、畏まった訪問先や目上の方のお宅などでは、以下の順で謙遜の気持ちを表せます。

 

 

 普段、無意識に行っている所作や日常のちょっとしたふるまいが、大切なシーンでも必ず出てしまいがちです。恰好がいいとか悪いとか見た目を気にするのではなく、相手や周りへの配慮や敬意など心の持ちようが大切なのです。