ナポレオンのロシア侵攻の史実



 

  ユダヤ人がキリスト教徒に比べて4倍以上の税金をフランクフルトで納めた。貧富の差は歴然としています。この後、歴史的にいろいろなユダヤ人迫害の怒りの源になった。

 

 ここでしっかり認識しておかないといけないことは、ユダヤロスチャイルド家という一つのファミリーと今議論している国際的ロスチャイルド財閥というのは性格が違うものだということです。

 

 彼らは、そのロスチャイルドという一つの名称のもとにキリスト教徒つまりウィーンの宮廷ご用商人たちもロスチャイルド家に取り込んでいく。そして、貴族たちも全部ロスチャイルド家の中に取り込んでいく。 それがロスチャイルド財閥というものでした。

 

 つまりロスチャイルド財閥というものは キリスト教徒も全部入ってくる集団です。つまりカネの実業中心にモルガン財閥もロックフェラー財閥みんなこの中に 取り込んでいくという組織です。

 

 ユダヤ人ゲットの中にいたロスチャイルド家という一つのファミリーの物語ではこの歴史を解くことはできない。そのことを認識しないと間違いを犯すということなのです。

 

 さてフランス 革命後の時代はどうなったんでしょうか?ナポレオンはついに皇帝に選出されました。1804年に一旦イギリス軍に敗れた後、アウステルリッツの戦いで貴族連合軍を破って、1806年にその勝利を祝ってナポレオンがパリ凱旋門の建設を命じました。

 

 この年にハプスブルク帝国は消滅した。こうして1811年にはナポレオン帝国はこのように巨大な大陸の大半を支配するようになって、同盟国と衛星国がドイツ一帯をですね ライン同盟として保護国にすることでドイツの強い影響力を持ち続けたん。

 

 ところが、その 翌年60万の大群でナポレオンは無謀にもロシア遠征に出発した。それが文豪トルストイが描いた「戦争と平和」の時代で、モスクワに入城したがロシアの将軍の焦土作戦と兵糧作戦に4 ヶ月後にはモスクワから撤退を開始します。

 

 ロシア国境まで生還できたフランスは、全軍の1%以下わずか5000人であったという悲惨な時代に入った。パリにナポレオンはかろうじて生還しましたが、その翌年にはライプツッヒで連合軍の諸国民戦争に敗北して、ヨーロッパ支配があっけなく終わってしまいました。