太陽中心説で天文学を大きく変え始めました。科学者の間で星占いが流行していた。その人たちは間違ってるっていう事に、科学者たちが気がつき始めて、その頃ちょうど1608年にオランダ人が望遠鏡を発明した。
オランダ人の眼鏡屋さんが望遠鏡を発明して、ガリレオの時代に入って地動説が胎動し始めガリレオは死刑になるので、最後に表向き地動説を引っ込めました。科学者たちは地動説が正しいそうだということに気がつき始めました。
そこから現代が言うところのサイエンス思考の精神が高まりました。そのうちいくつかの面白い発見だけを紹介しましょう。まずドイツの天文学者ケプラーです。コペルニクスの地動説がどうも正しいということに気がついていた一人です。
望遠鏡を使って自分でもケプラーの望遠鏡というのを作り、天体観測を行って惑星を観測していた。惑星が太陽の周りを円軌道じゃない楕円の軌道を描いて回っていると考えると、ようやく完全に 観測値と合致することを発見しました。
そして、1609年に後にケプラの法則と言われる惑星の運動の法則を明らかにしました。惑星というのは水星、金星、地球も含みますから、火星、木星、土星も星というのは太陽に惹かれて運動する。
そこに働く力は距離の二乗に反比例するとこういう原理です。そのため惑星は中心の星の周囲を完全な円軌道で運動するんじゃない。楕円軌道を基本とする新しい天体論を唱えました。
そしてそのケプラの法則は非常に高度な数学的証明です。地動説の証明を成功させたわけです。その頃、ケプラと交信していたのが同じ地動説を主張するイタリアのガリレオ・ガリレイです。
たくさんの書物を書きました 。1638年に書いた「新科学対話」をイタリアで発刊すると殺されてしまうので、オランダで発刊しました。同じ長さの振り子は大きく振れている時も、小さく揺れている時も往復にかかる時間同じである。みんながびっくりするようなことを発見しました。
そして、それをもとにガリレオの原理を利用して、オランダの天文学者のホイヘンスが世界で初めて振り子時計というものを発明した。地球が1日24時間で1回自転する。この当時まだ自転ということが正確に実証されていなかった。
地球は1日24時間で回るということはわかっていた。だからその回る速度は東西方向の経度がわからないと船は一体どこに進んでいるか航海士はわからない。経度も知りたかったのですが、360度24時間で割りますと、1時間の航海で経度15度進むということがわかった。
だから時計が欲しかったのです。この振り子時計は船が揺れたら使えないので、正確な経度はまだこの時には測定できなかった。
1735年になってイギリスの木工職人のジョン・ハリソンという人が時計にバネをあちこちつけて回転力が一定になる装置を備えた置時計である海洋航海用のクロノメーターの製作に成功した。
イギリスからジャマイカまでなんと81日間も航海しても8秒遅れるだけ非常に高精度な時計になり、船長たちは海上で正確な経度を知ることができるようになった。これが
緯度経度を特定できる天文学と一体になった。
技術者の勝利でした。