1830年まではアムステルダムつまりオランダと一緒の国であったベルギーにアントワープ、ブリュッセルもある。フランクフルトとアントワープはユダヤ人社会が一体になっていたという意味で非常に重要な役割を果たしていくわけです。
このような配置で何が起こったか?1700年代からその物語を始め、このフランクフルトは今から1000年以上前西暦1000年の頃からヨーロッパの商業の中心都市になり始めて いた。
そのヨーロッパの商業の中心を担ったのはユダヤ人の商人ですが、ユダヤ人は聖書の中に語られるようにキリストを裏切ったユダヤ人という汚名を着せられたびたびキリスト教徒に襲われ十字軍たちのいろいろな 迫害を受けてずっとその中を数百年生き続けてきた。
そうした多難な時代を経て、それでもユダヤ人のお金がなければキリスト教徒の支配者たちが生きられないため、このユダヤ人を何とか逃げないようにするためにキリスト教徒の支配階級が1462年から(西暦1000年頃から数百年たって)ユダヤ人を1か所に集めるために居住区を決めた。
そこがゲットと呼ばれユダヤ人集団 の居住区です。最初は110人だったユダヤ人は250人、900人、1200人、2200人そしてついに1600年代3000人へと増えていってこの3000人がその後だいたい維持されていきました。
これがエンサイクロペディア時代家と言われユダヤ百科事典に出ている数字です。この3000人以上はなぜ増えなかったかというと、それ以上増えては困るという理由で結婚制限をさせたりキリスト教徒の支配階級はいろいろな制限を設けたためだった。
狭い地域のため大変でした。狭いところに3000人も住んでいなきゃいけない。ユダヤ人の職業はだいたい金を貸す高利貸それから両替をする。ヨーロッパはいろいろな通貨が利用されてきたので、両替をしないと市場が立った時買い物もできない。
誰か両替所が非常に重要な役割だった。物品を貴重品を預かる質屋が主体です。それからもう一つは貴金属を加工して金銀銅のいろいろな貴金属加工を専門とする人間たちをゴールドシュミットと言いました。英語で言うとゴールドスミスです。そういう貴金属加工技師がゴールドシュミットです。
トランクフルトのユダヤ人居住区はゲットと呼ばれ、このようにですね1600年代にマテウスメディアンの銅版画がきれいに描かれています。この銅版画をよく見るとずーっと塀があります。壁両側にずっと壁があってここが錠門があって出口があるんですがこの出入り口の方には夜になると門が占められて鍵がかけられ町に閉じ込められた。