歳は何を教えるか?

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今まで生きてこれたのは、もちろん生まれたからだ。それから両親の世話を受け、学校で先生の教えを受け、部活で先輩の洗礼を受け、社会で先輩に助けられた。こいつは敵だと思っても、同窓生だと分かると親切された。

 

 それからは、どこかにつながりがあるかもしれないと考えるようになった。少し角が落ちた。それは、相手の長所を見つけようとする行為に近いのかもしれない。上手く行かないこともあったし、こちらが若かったことも幸いしたかもしれない。

 

 結婚し子供持って親が何を思い何を言ったのか分かった気がした。結婚して半人前、子供を持って一人前と昔の人は言ったものだ。生まれた子供は、自分のコピーだと思ってしまうのかもしれない。時に自分とは違うことに気が付く。

 

 子供は子供の人生があって人格が育っていくのだから、親と同じわけがない。会社での部下も同じだ。なんでこんなことができないと怒る。自分はできても部下は自分じゃないのだ。自分が教えないから仕事ができないだけなのに。

 

 ある程度の歳になると、組織での立ち位置や役割について、客観的に見れるようになり、自分の役割もわかる。これが分からないと延々と苦しむ。俺が俺がはいつまでも通用しない。先のことは若い人しかできない。

 

 自分が受けてきた関わった人からの恩はその人に返せないことが多い。むしろ、先の時代を切り開いていく人達に恩を送るべきだろう。そういう循環は、身勝手な自分ファーストではできない尊い感謝なのです。