コロナで出世ゲームはどう変わるか?

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 スペシャリストの生き方とゼネラリストの生き方はよく知られている。得手不得手、好き嫌い、性格等から職として選択することだろう。このことについて、よくまとまっているので紹介しょう。

 

●世の中には2種類のまったく異なる「出世ゲーム」が存在する

1.「仕事人としての出世ゲーム」:仕事の結果によって評価される。

 ①「プロフェッショナルマネジャー」部門

  誰がどう見ても素晴らしいビジネスプロジェクトの成果を実現させる。  

 ②「専門職」部門

  専門のレベルが、日本または世界レベルにまで達すると外部から認められる。

2.「組織人としての出世ゲーム」

 基本的な評価は、社内の有力者によってなされる。世間的に価値があるかないかはほとんど関係がない。有力者がよいといえばそれでよいのだ。このゲームは組織の中でいかに政治的に勝ち残るかという社内政治の競技といっていいかもしれない。3.実は出世する人と出世しない人の違い

 ・①と②のどちらのゲームを行っているかの自覚の有無

 ・それぞれのルールに基づいた行動を実行しているか否か

 

●「組織人としての出世ゲーム」で 評価されるポイント

1.有力者の人の評価

(1)かわいいか、かわいくないか

 自分にしっぽを振ってくれているか、尊敬してくれているかどうか、純粋にかわいげがあるか、などがここでの評価基準である。

 

(2)自分にとって役に立つか、立たないか

 有力者が重要と考えている目標に対して、その人が貢献してくれるかどうかである。この目標がライバルを蹴落とすということであれば、ライバルのミスを見つけてくることなど、たとえ会社への貢献としての価値はゼロでも、この評価項目でのポイントは高くなる。

 

(3)組織にとって役に立つか、立たないか

 自分の役に立たずとも会社全体の発展に貢献してくれるのであれば(消極的に)高い評価を与えることになる。

 

これらが総合されてゲームの勝者が決まる。配点でみれば(1)(2)が圧倒的で(3)の比率はごく小さい。

 

●「仕事人としての出世ゲーム」の成功確率は 極めて低い

 優秀な人であればあるほど「仕事人としての出世ゲーム」へ参戦しようとする。誰もが称賛する大成功でなければ、会社は成功とさえ認知していない。覚悟を持ち、会社内での出世はなかばあきらめてゲームをしていると認識しておく方がよいだろう。

 

「組織人としてのゲーム」で「仕事人としてのゲーム」の戦い方をしてしまう罠

 多くの人が「組織人としての出世ゲーム」にもかかわらず、多くの人がこのゲームの真のルールを知ろうともしない。ルールに合わせた行動をすることもなく、あたかも自分は「仕事人としての出世ゲーム」での成功を期待されている人材であるかのように考えている。そして、プライドを捨て、「組織人としての出世ゲーム」をまっとうした人に出世という勝ちをさらわれてしまう。

 

 取締役会(社外は除く)比率を考えてみるのも面白い。大まかにいって、「仕事人としての出世ゲーム」の勝者と「組織人としての出世ゲーム」の勝者は、2:8よくて3:7くらいであろう。

 

 ほとんどの役員が確固たる業績(会社にとって)が何もないのに出世しているのだ。逆さに振っても本当に何の実績もない人すらいる。出世ゲームの種類の別とそれぞれのルールをしっかりと把握し、プライドをかなぐり捨てて、勝つべく行動したのだから、それはそれで大したものだということもできる。まさに、半沢直樹さながらである。

 

●コロナで出世ゲームはどう変わるか

 これから、大変革期に入るからチャンスに満ちている。会社は作り替えに近いくらいの大変革になる。実は「仕事人としての出世ゲーム」の成功可能性は過去よりはずいぶん高い。

 

 また、専門職部門も、「ハード×ソフト×データ」といった新領域が出てくるので、新たな参入可能性が広がる。「仕事人としての出世ゲーム」は活性化するし、ここでの勝者は高く評価されるようになるだろう。いい時代になった。私が40年に考えた三種の神器の時代の到来かもしれない。

 

 一方、「仕事人としての出世ゲーム」が活性化しようとしまいと、人の評価の在り方そのものは変わらない。たとえジョブ型になろうと、相変わらず社内の有力者が人を引き上げる構造は変わらないのである。

 

 むしろ、ジョブ型に変わった場合、出世に対して人事部の関与が今より下がるから、自分の上司筋に気に入られるかどうかこそが、出世の決定的な要因になるともいえる。

 

 さらに、リモートワークの世界になってくると、有力者は昔よりもかなり疑心暗鬼の状況になる。毎日顔を合わせなくなると不安になる。自分の知らないところで、よからぬたくらみがはりめぐらされているのではないか、裏切られるのではないかと夜もおちおち眠れないはずである。

 

 その意味では、(1)かわいいか、かわいくないかがさらに重要になり、なかでも、自分に忠誠を誓ってくれるか、裏切りを示唆する疑わしい兆候はないか、といった点が重要になってくるだろう。今まで以上に、毎晩、オンライン・飲み会に付き合わされることになるかもしれない。

 

 「組織人としての出世ゲーム」の参加者は、いろいろな点で監視されるようになるかもしれない。有力者に二股、三股をかけていると、それが実は筒抜けで、得ていた寵愛を失うかもしれない。

 

 社内政治の権力構造の中でいかに生き残るかは、本物の政治家の世界さながら、これまで以上に厳しい時代になるだろう。

 

 熾烈な世界でプレッシャーは強く、個人にかかるストレスも大きい。したがって、これらの出世レースとは無縁のスローライフ的な仕事の仕方や、社会から称賛されるほどではなくても、自分の専門性をもとに確実に生産性の高い業務を完遂する個人事業主、専門家として生きるといった道を選ぶ人は増えてくるであろう。

 

 また、これらの生き方に対しての社会的評価も大きく変わってきた。昔は会社に属していなければ一種の落伍者的な扱いを受けたかもしれないが、今ではスタートアップの経営者やYouTuberや自分の専門性を生かした個人としての働き方は、憧れの対象とさえ言える。

 

とはいえ、上記のような会社におけるシビアなゲームの勝者に対しての報酬額と、それ以外の報酬額の差は一般的に見てかなり大きい。お金以外のことにどれだけの価値を見いだせるかという生き方の哲学を確立することが、重要になってくるだろう。

 

 ただ、きれいごとを横に置くと、お金を重要視しないということは、新しい生き方を提唱する人やマスコミの人が言うほどには、どうも簡単なことではないようだ。